東海道筋です。ガイド灯86番

膳所藩260余年歴代藩主

  戸田左門(かず)西(あき) 戸田左門(うじ)(かね) 本多縫殿助康俊 本多下総守俊次 菅沼織部正定芳 石川主殿頭(ただ)(ふさ) 石川主殿頭昌勝 本多下総守俊次 本多兵部少輔康将(やすまさ) 本多隠岐守康慶(やすよし) 本多下総守(やす)(のぶ) 本多主膳正康敏 本多下総守(やす)(たけ) 本多下総守康政 本多隠岐守康伴 本多主膳守(やす)(まさ) 本多隠岐守(やす)(さだ) 本多下総守(やす)(さだ) 本多隠岐守(やす)(あき) 本多下総守(やす)(しげ) 第20代 康穣 1871年明治4年7月14日廃藩

以上のように膳所藩城主は戸田氏が二人十七年、本多氏が二人四年、菅沼氏が一人十三年

石川氏が二人十七年間歴任したが、ほとんど世代を変えるごとに移封せしめられた。それはただの転任であって軍功のあった譜代の者に、この膳所の要地を守らしたに過ぎない。

この間膳所藩の施政などについてはみるべきものが少ない。再任された本多俊次以後が定住する事となり藩政その他について見るべき施政が行われた。それ故に膳所と云えば本多氏六万石を連想するようになったと思われます。