東海道筋です。ガイド灯82番

今に伝わる紋付麻裃

赤穂浪士の討ち入りに関する映画のなかに「赤垣源蔵徳利の別れ」と云うのがあります。

別れを告げるために兄を訪ねるが、兄は留守で兄嫁に冷たくされたため、下げてある兄の着物を相手に、酒を酌み交わすシーン。討ち入り後、そのことを聞いた兄が悔やむ場面

そんな映画が有りました。そのモデルは赤埴源蔵です。その兄と云うのは叔父の赤埴所左衛門勝政です。勝政は源蔵の父重左エ門重長の末の弟で明暦三年(1657)17才で膳所藩に仕え旧椿原町に屋敷が有り間口12間1尺5寸、奥行18間4尺、約224坪。現在の疋田邸付近です。源蔵は討ち入りの前年に赤穂から江戸へ下る途中、御鉄餅屋長角軒に立ち寄り叔父に届けてほしい風呂敷包みを託します。その中身は麻裃の一揃えでありました。この裃は所左エ門の玄孫の赤埴歌が嫁いだ藩士の中村隼太方に伝わっていて、三つ巴の下に横線一のある珍しい赤埴家の紋付麻裃である。

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