東海道筋です。ガイド灯76番
近江蕉門の重鎮 菅沼曲水
このガイド灯が建ちますここのお宅は、幕末の地図に登場致します歴史あるお宅です。
小間吉こと和田吉兵衛と云うお宅です。そして、お隣が浄土真宗仏光寺派仏日山普照院専
光寺で開基は釈正善、住職は蒲生氏。この寺に沿って西に不動寺町となり、不動尊の不動
堂が有ります。その前に菅沼曲水の碑が建っています。ここは五代目藩主の濃い親戚で中
老500石、馬指堂と称した菅沼外記定常の屋敷跡です。通称は外記 別号は馬指堂 菅
沼定澄の子で家康に従った菅沼定盈のひ孫膳所藩では中老という重職に就き、又、近江に
おける松尾芭蕉の門人。近江蕉門の重鎮として芭蕉を経済的にも支援しました。義仲寺で
暮らしていた芭蕉の隠棲地として伯父の幻住老人定知の旧庵に手を加えて幻住庵を提供。
廉直の士であり、享保二年(1717)、奸臣を切って切腹。子の内規も切腹。妻は出家し破鏡
尼と号した。ここに菅沼家は断絶。義仲寺に墓石があります。一説によると、曽我治右衛
門(権太夫、仮名)と云う奸侫の者を屋敷に呼び寄せ詰め腹を切らせ自分も切腹とある。