東海道筋です。ガイド灯67番

生駒秀一 盆梅家

このガイド灯の後ろのお宅は生駒邸です。明治、大正時代、生駒秀一という盆梅家がいました。生駒翁はなかなかの凝り性でよい花種のあるのを聞くと遠方からでもそれを集め、毎春、見事な花を咲かせました。庵居を梅仙窟と称し、その名声は広く聞こえました。山元春挙画伯と姻戚にあたられ、画伯も絵筆を執る暇を見つけて、よく鑑賞に来られたものだそうです。生駒翁の歿後は、折角の盆梅も長浜と追分の八新に移されたと聞きます。