東海道筋です。ガイド灯07

 「近江與地志略」編纂

このガイド灯より西に向かいますと寒川水エ聞辰清の碑 (かんがみずえもんたつきよ・ 1697~1739)が建っています。これは膳所の郷土歴史を編纂する立葵会が建立したものであります。 膳所藩本多五代藩主本多康敏(やすかづ)の命を受け「近江輿地志略」の編纂を始めた地誌。享保八年(1723)~享保十九年に掛けて百一巻百冊の大作を完成させました。藩儒となり侍講も務めました。編集が完成後讒言に会い、藩を追われる身となりました。大坂に身を寄せましたが病死しました。憤死でありました。藩を追われた理由は定かではありません。一説には、当時の弊害を嘆き主君に諫書を提出した事で康敏の怒りに触れて追放されたのでは?と。それと、余りに細部にわたり調査をして幕府に知られてはまずい事柄が書かれていたとか?公に出来る事でもなく、そのためか寛政十年(1798)藩主本多康完(やすさだ)により幕府に献上されるまで、六十五年間藩内にて秘蔵とされていました。この「近江與地志略」は今なお滋賀県の歴史を知る上で重要な書物となっています。そして、その碑に対して左側の細い道を北に向かいますと、源蔵の裃が伝わっている

中村隼太邸に行き当たります。

 

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