東海道筋です。ガイド灯64番

南大手門入口

このガイド灯の右側の道路を団地に向かって少し進むと団地を取り囲むように道が施されている其のあたりに南大手門があって、そして、内堀で囲まれていました。三の丸に続く門です。三の丸と北の丸には米蔵があって、そこには常備米各二千五百俵の米がありました。廃城後草津市矢走の鞭崎神社へ移築の高麗門(重要文化財)で、入口前の道の左右は茶畑。茶畑手前右側に内堀から街道筋まで高さ一間、石垣と白壁瓦葺土塀があり、石垣に

米船などを繋ぐ鉄の環が打ち込んであったり、船の待合溜りがあったり、石垣上にある酒造屋柴荘の蔵入米を運び上げる石段などが有ったりして、堀は活用されていました。なお伊勢屋町の北側町屋の屋敷地の半分から内堀までは、永順寺の境内内除いて竹藪であって、その揺れ動く蔭がゆっくり堀を行き来する船頭の笠にゆれていたとは、昭和初期の話。

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