東海道筋です。ガイド灯61番

 東海道中 膳所の名物 「お鉄餅」と 隠れキリシタン

このガイド灯の後ろ、北側の角に近江屋重兵衛「俵屋長角軒(小林重兵衛)お鉄餅」が有った。小柄な美人娘の愛嬌とその味自慢で大繁盛。もと米俵三俵を積んだ商標の俵屋と称していたが、江戸の俳人宝井其角(きかく)がその一字をとって長角軒と名付けてからいよいよ名が知られ、東下りの道すがら大石良雄や赤埴源蔵ら有名無名の旅人が好んで立ち寄った。その後鉄道の開通などで徒歩の旅客が減り、このことあるを見越してはくせんこのセメン菓子を商い、後の重之介は大津商業学校長を勤めた。そして、長角軒の反対側

南へ向かいますと、赤埴源蔵の叔父、赤埴所左衛門の屋敷が有った場所(疋田邸)に当たります。その疋田邸の前の路地に入りますと、大円院跡地が右側にあります。八代膳所藩主本多俊次の夫人が、慶安(1648.2,151652.9.18二年父、柳川藩主立花宗茂の七回忌にその菩提を弔うため藩主に創建してもらった寺で、立花家はキリシタンだったので、本堂の屋根の鬼瓦には隠し十字の紋を附してありました。廃藩後廃寺となり膳所小学校に合併するまで、一時篠津学校の校舎として使用されていて、後移築して近年まで五百羅漢堂でありました。