東海道筋です。ガイド灯59

 膳所最初の郵便局

幕末城下図によりますとガイド灯57番南側の枝道からから60番までが榎木町と云いました。現在の自治会名は下浜田と云います。この辺りは榎が多く茂っていたことから、またの名を榎町とも云います。ガイド灯57番の枝道の角に小さな地蔵堂があり、その付近に上菓子司粟津屋があって金平糖や八景糖、そしておものの浜や帆掛け船の焼き印を押した卵入りの上等なせんべいを焼き売りしていました。その店先に明治初年「第一郵便局御用取扱所」の看板が掛かっていました。これが膳所最初の郵便局です。通りの東側には、南から庚申堂、豆腐屋の豆忠、金工師で奥村菅次の高弟、村治一嵯(佐市)料理屋の坂卯などがありました。ガイド灯58番の東側、今は新築されて間がないお宅が仕出し料理坂卯の跡。裏には渋く瀟洒な茶室も有ったと云います。その南隣に村治一嵯が住んで居ました。一嵯は特に仙徳、鉄瓶、花瓶などの名作を残している。

膳所のあゆみより抜粋