東海道筋です。ガイド灯58番

 膳所診療所と膳所の地酒

このガイド灯の後ろ、コーポ膳所の所に膳所診療所がありました。御殿医村治玄中の甥で明治20年10月~仝42年3月まで滋賀県医師会(発足時は仝医師組合)初代会長村治重厚の膳所診療所がありました。地域の人々から敬慕されていた重厚の葬儀は盛大なものであったようです。その跡が膳所の地酒として名のあった森半酒造(森半次郎)で、酒造蔵の地下に清水の湧く井戸がありました。が、明治41年に糀庄(川津庄兵衛)に譲渡しました。森半の幻の酒、その四斗樽包みの弧もが子孫の家に大切に残されていました。「更正希大樽―極吟造―森吟造―名声布四海」の焼印が一つ一つ所定の箇所に押してあり、青葉白菊の上に墨書くづしで銘柄は「貞宗(さだむね)」と鮮やかに浮き出ていました。その後の糀庄は「菊の友、若松、千雁、加代姫」等醸造し、中二階染込め庇の軒先に酒造の神 三輪大神に因む杉玉が釣り下がっていたことは印象深く残っていると思われます。

膳所のあゆみより抜粋

 

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