東海道筋です。ガイド灯49番

  膳所大明神の神木

このガイド灯の西側に膳所神社があります。そして、東側に膳所団地があります。昭和四十一年まで現膳所住宅団地の所に滋賀刑務所があって、そのほぼ中央に数百年を経たであろう榎の大木がありました。毎年正月前に膳所神社の神主が注連縄(しめなわ)を掛けに来て年中掛かっていました。この榎は不思議に枝葉が良く茂るので何度も枝打ちされましたが、不思議にその枝打ちした者が、大けがをしたり、死亡すると云ったことが起きるので、神の祟りと恐れられ、注連縄をかけて神木扱いとしました。ここは慶長六年に膳所城を築城するまで、陪膳浜(おもののはま)田といって、当時の膳所大明神のあった所で、その榎は境内に立っていました。昭和九年九月の室戸台風で大分枝が折れたので、刑務所では神の祟りを恐れて榎の下に小社を建てて毎年神主に参ってもらい祭りをしておられた。ところが、刑務所が石山へ移転のとき、この小社を膳所神社境内に移されたが神木の榎は不思議にも枯れてしまいました。不思議なことはそればかりではない。慶長七年建築中の膳所城に初代城主として移封されてきた戸田左門一西は、翌八年七月二十五日に、工事中の城内を、侍従香村雲井之助を従え乗馬で見廻り中に、この榎の木の下で馬が急に跳ね上がったので、落馬し鞘走(さやばし)った脇差が原に刺さり即死しました。侍従の香村も殉死しました。このことは、勝手に神社を移転させた神罰ではないか、とうわさされたと伝えられています。