このガイド灯 89番から東側、京阪電鉄の踏切の手前に若宮八幡神社があります。そこは別保宮町になります。

若宮八幡神社は壬申の乱に大きく関わる神社

 天武天皇の白鳳(7世紀後半)四年に宇佐八幡の託宣(たくせん)により、天皇が此処に行幸されたころ、紫の雲がたち金色の鳩が大木の上にとまったので、勅命により同八年にここに神社を造営し、仁徳天皇の木像を下賜されたのでこれをご神体としたと云う。若宮と云うのは、仁徳天皇は応神天皇の若宮であるからである。天武天皇は壬申の乱で、甥の弘文天皇軍をこの付近で全滅させたので、その菩提を弔うため付近八町四方を殺生禁止の地に指定されました。それでこの付近を特別の保(村)として別保と呼ぶようになりました。その後歴代天皇が当社を崇敬して、経蔵、護国寺などを建て、また新築されたりして随分大規模な神社となりましたが、醍醐天皇の延喜(901年7月15日~923年閏4月11日)十七年に落雷のため全焼して式内社ともならず、その後造営されたが再び木曾義仲の粟津の合戦の兵火で焼失しました。建仁(1201年2月・13日~1204年2月20日)二年源頼朝が上洛の時、当社を再興し翌年社殿を再建しています。当社の営繕は鎌倉幕府以降地頭が行っていましたが、徳川時代は膳所藩主がこれを行い、八幡社へ十一石、境内の大神宮社へ二十石七斗、が毎年支給されました。また、境内に森羅社があり、足利尊氏からの神田の寄進状と足利(よし)(あきら)(尊氏の嫡男)からの寄附状が残っています。なお、表門は膳所城の本丸犬走門です。

託宣 神が人にのりうつり、または夢などに表れて、その意思を告げ知らせる事

   神に祈って受けたお告げ。