東海道筋です。ガイド灯43番

膳所神社 御食津神(みつけのかみ)

このガイド灯の南北が東海道筋であり、東に膳所城址公園、西に膳所大明神が鎮座されています。 伊勢の外宮と同じ豊受比売とようけひめのみことを祀る御食津みけつのかみである。天智天皇が大津宮に奠都てんとしこの地を御厨所と定められたので、天武天皇の六年に大和より奉遷(神体等をお遷し申す事)して、大膳職の御厨神とされた。故にこの地を陪膳浜と云い、膳所と云うようになったのであります。東山天皇の膳所大明神の宣下(宣旨せんじ「天皇の命を伝える公文書」を受ける)もありました。膳所の御厨は御所が京都に移ってからも続けられ、松本、粟津から大江、大萱までがその職領で、鯉、鰻、鮎、諸子、蜆などを主に集めて献上した。粟津供御人と称して中世相当な勢力をもち有名であった。築城前は陪膳の浜田の大榎の傍らに鎮座されていたが、慶長六年築城に当たり今の地に遷座申し上げました。廃城後旧刑務所の頃には元の位置にも膳所大明神の小社がありました。当社には慶長年間豊臣家が寄進した和漢連句、軍幕、大坂冬の陣に用いた陣太鼓などがある。また桜の馬場の流鏑馬の大額も宝蔵されている。廃藩後は旧藩主の弟で家老だった本多豊七郎(本多亀男翁の父)が宮司を務めておられ、倭神社と称していました。表門は旧膳所城の本丸入口の城門を移築したもので国宝から重文。    勧請 神仏の来臨を請う事神仏の分霊を請じ迎えてまつること。

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