東海道筋です。 ガイド灯25番 

禾津頓宮(あわづとんぐう) 藩校遵義堂

藩校遵義堂は膳所神社の北側に建設されました。すなわちこのガイド灯の西側になります。現在は膳所高校になっています。滋賀県立膳所高等学校の新校舎建築工事に伴って平成14年に奈良時代前半に建てられた非常に大きな掘立柱建物の跡が見つかりました。最も有力な候補として考えられたのが、『続日本紀(しょくにほんぎ)』に記されている禾津頓宮(あわづとんぐう)です。天平十二年(740年)十二月十一日に聖武天皇は東国行幸と呼ばれる行動を起こします。平城京を出発し、伊賀、伊勢、美濃、近江、山背を巡歴したのち、恭仁京へと遷都するもので、この中で禾津頓宮には2日滞在しています。この行幸をめぐっては、遷都に際し曾祖父である大海人皇子(天武天皇)が勝利した壬申の乱の行程を追体験したとする意見が、そのひとつとして考えられています。見つかった大型建物の存在は、この行幸が計画的であったことを示すものとしても注目されています。そして、本多康禎文化五年(1808)九月遵義堂建設の起工が始まりました。開校の準備は康完の時代で皆川淇園のすすめと計画により準備が進められました。爾後寛政末から享和のはじめにかけて藩政(びん)乱が露呈し、人情風俗が遊惰に流れ、遂に御為筋一件が幕府の耳に入り空前の一大改正を断行して新令を布き、文武を振興し財政を緊粛し後代に残る藩規を作ったが、これらは皆、淇園先生の訓戒に依るものです。

膳所六万石史より