東海道筋です。ガイド灯21番

浄土宗知恩院派梅香山縁心寺

初代城主戸田(かず)西(あき)が慶長(1596.10.27~1615.7.13)七年に創建したもので、当時は栄泉寺と云って、一西は同九年七月六十二才で没し、ここに葬られている。その後本多家の菩提寺として歴代城主の墓がある。廃藩後兼平寺、正慶寺が当寺に合併されている。開基は僧洪誉。当時は膳所の町民の家も武士の家も社寺も土塀に藁葺であった。ところが一西が建てた栄泉寺は膳所、大津にもないただ一軒の瓦葺きの寺で、瓦の見事さから瓦寺とも呼ばれていました。元和三年三河国西尾城から来た本多康俊で、西尾の縁心寺の御本尊と住職と共に移ってきたので、縁心寺と改称しました。西尾の縁心寺は康俊が実父酒井忠次の戒名=先求院縁心居士の追福のため建てた寺であり、また梅香山と云うは、康俊の没後に康俊の戒名が梅香院であるからであります。従って、梅香山縁心寺と云うは、梅香山は後年についたものである。

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